年間20mSvの理不尽を振り返る

ある大学教授から以下のようなメールが届いた。

2011年の4月中旬の学校再開の状況は、当事者のお一人としてよく覚えておられるかもしれません。そんな余裕もなかったかもしれません。当時は、現存被曝状況の参考レベルを一旦は20mSv/年だと決めたと思いますが、やっぱり1mSv/年だという混乱がありました。

そこで小佐古敏荘 原子力安全委員会委員長が、20mSv/年に一旦は決めたことに対して、自分はそうしたくなかったんだと、涙の辞任をして初めて、住民の方々は、これは高いんだと感じて驚いたと聞いたことがあります。
この辺りどんな感じだったのか、そして住民のお立場からはどういう風にするとよかったのか。今、振り返ってみるとどうだったのか。
お聞きしたいと思いました。


それに対し以下のメールを返した。(直接の答えにはなっていないが・・・)

当時の福島県民(特に母親たち)は子ども達の命を守る為に必死で20mSvの解除を文科省に求める為に、上京し何度も文科省(内閣府、環境省、復興庁、規制庁とも)と交渉したり、文科省前や経産省前で集会やデモを実施し、ついに南相馬市民は20mSv撤回を求めて裁判まで起こし今も闘っています。小生も文科省前や経産省前の集会や、政府間交渉での集会に何度も参加しています。

原発被害、放射能被害と福島県民は10年間も闘い続けていますし、今も多くの県民が 理不尽で無責任な東電と国と裁判所で闘いつづけています。トリチウム汚染水問題は多くの闘いの一つにすぎません。

当時の様子がFoE Japanの『福島の今とエネルギーの未来』の原発事故を振り返るの項目に記載されています。
https://311mieruka.jp/info/report/fukushima/

又小生は当時に内閣府とも交渉しています。
是非今の学生達にも当時の様子や今も苦しみながら、東電や政府と闘っている福島県民がいる事を伝えて頂ければ幸甚です。


小生のブログ(本日まで2642件)は原発事故以降は8割は原発事故に関するものです。以下のブログはご参考までご欄ください。これだけでも書き足りないぐらいです。小生のブログを検索頂ければ更に多くの記事が出てきます。

今回のICRPの国際会議でも内閣府に質問しましたが、政府の回答はいつも同じです。以下の内閣府との意見交換の議事録にも記載されています。


【お母さんたちの苦悩】
https://nimosaku.blog.ss-blog.jp/2011-05-30
【ふくしまの真実~女子高校生の詩から~】
https://nimosaku.blog.ss-blog.jp/2014-08-10
【法廷で朗読された詩】
https://nimosaku.blog.ss-blog.jp/2013-07-25
【20mSvの欺瞞】
https://nimosaku.blog.ss-blog.jp/2014-04-01
【年間20mSvの罠】
https://nimosaku.blog.ss-blog.jp/2014-03-28
【環境省との交渉】
https://nimosaku.blog.ss-blog.jp/2014-06-23
【復興庁への改善要求】
https://nimosaku.blog.ss-blog.jp/2015-04-18
【内閣府への質問~20mSv強制帰還~】
https://nimosaku.blog.ss-blog.jp/2015-12-23
【内閣府との意見交換】
https://nimosaku.blog.ss-blog.jp/2016-02-01
【内閣府との意見交換(その2)】
https://nimosaku.blog.ss-blog.jp/2016-02-25
【内閣府との意見交換(その3)】
https://nimosaku.blog.ss-blog.jp/2016-02-26
【消えゆくふるさと】
https://nimosaku.blog.ss-blog.jp/2020-10-11

また他の市民団体も議員会館で何度も政府と交渉したり要請書を出したりしています。 以下はその1例です。(小生も何度となく交渉に参加しています)
https://cnic.jp/wp/wp-content/uploads/2019/05/cc5fb2cddc0efae428c8dec8e7990723.pdf










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