紅葉の二本松城

二本松城は室町時代中期に奥州管領を命じられた畠山満秦が築造し、以降畠山氏歴代の居城として140年余り続いた。その後1586年に19歳の伊達政宗の執拗な攻撃にあい落城。その後4年間は伊達政宗が領主として、片倉景綱や伊達成実らが城主となっていた。
豊臣時代になると、会津領主となった蒲生氏の重要な支城として中通り(仙道)警備の任を与えられた。石垣が積まれ近世城郭としての機能し始めたのはこの頃と推定。

その後徳川時代初期も会津領として、蒲生・加藤氏らの支配下にあった。特に加藤氏支配時代には本丸が拡張された。
二本松藩が誕生した1643年、初代藩主丹羽光重が10万700石で入場し、幕末まで丹羽10代の居城として220有余年続いた。戊辰戦争に際し、西軍との徹底抗戦で城内・家中屋敷のすべてを焼失し、1868年7月29日に落城した。二本松城の主な石垣は加藤氏が領主時代に気づき上げたようだ。

二本松城主・畠山義綱は小浜(現在は二本松市)にある宮森城に居住していた伊達照宗(政宗の父)を和解の為に訪問したが、大柄な義綱は帰り際に小柄な照宗を小脇に抱え馬に乗せ拉致してしまった。これを聞きつけた鷹狩中の政宗は馬で追いかけ、阿武隈川を渡ろうとしていた、義綱と照宗を弓矢で刺し殺してしまう。照宗の命令とはいい、父を殺してしまう政宗はさぞ無念であったろう。義綱の首は小浜でさらし首にあったといわれる。


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