原発事故の震災遺構を巡る旅

今回は2日間に渡って、浪江町の請戸小学校の震災遺構、請戸漁港、復興記念公園(工事中)、原子力災害伝承館、東電廃炉資料館、Jビレッジ、リプルンふくしま、ふたばいんふぉ、夜ノ森、富岡アーカイブ・ミュージアムと多くの施設・遺構を見てきた。原発事故以降行ってみたいと思いながら、コロナ禍もありなかなか行けなかった地。

大熊町や双葉町、富岡町の一部(夜ノ森)、浪江・津島地区の壊れたままの住居を見てまだまだ復興には遠く、溶け落ちたデプリの取り出し方法も実現にはほど遠く、廃炉(更地)などは100年以上かかるだろう・・・
原発事故後10年経過しても、いまだに線量が高い地域が存在し今なお自宅に帰れない住民や、飯館の住民が甲状腺がんで亡くなったという情報に触れに原発事故の悲惨さ、東電と国の責任の重大さと怒りを強く感じた旅でもあった。

最初に訪れたのは、浪江町立請戸小学はは海から200m程度のところに立地していた。3.11の大地震による津波で校舎丸ごと2階まで津波につかりながら、教職員の迅速な判断と児童の協力によって、既に帰宅した1年生を除き93名の児童全員が1km以上も離れた大平山に避難し、奇跡的に全員無事だった。
原発事故から10年過ぎた、2021年10月24日に震災遺構として整備・保存し、後世へ伝承していく為の施設として公開した。その次の日の25日に見学できた。

東電の廃炉や、汚染水対策(トリチウム汚染水海洋放出等)、賠償問題、裁判での対応、情報隠蔽等の無責任な対応に怒りを通り越して呆れるばかり・・・

住めない土地、戻らない土地をいまだに除染している事にも、若干の矛盾をも感じた。果たしてどれだけの人が帰還するのだろうか??

二本松から浪江に行く途中はいまだに線量が高い津島地区を通る。持参した線量計はアラームが鳴りっぱなし・・・しかしながら住民が避難している土地には多くに作業員や作業車が突如として多くなった。二本松市側の国道はほとんど車が走っていないが、津島からは突如として多くの車が猛―スピードで走っている。不思議な光景であった。

伝承館の展示情報発信の問題点・矛盾、東電廃炉資料館の無責任な展示、偏った情報の出し方等多くの問題点や理不尽さを感じた。また多くの資料を入手したので、今後じっくり読みながら、何ができるかを検討していきたい。


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途中の津島地区・・・原発事故当時は150μSv/hも在った地域。今も帰還困難地域。誰一人帰還者はいない。夜は幽霊屋敷となる。

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請戸漁港はだいぶ復興はしているが、漁師はいない・・・人のいない復興などあり得ない・・・

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