人生二毛作の田舎暮らし

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zoom RSS 被災者はだませない!

<<   作成日時 : 2015/09/30 15:36   >>

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以下はあるメルマガから転載です。


今年の夏は、東京電力福島第1原発事故4年半の節目を前に、後に歴史の大きな転換点として刻まれるであろう出来事が立て続けに起きた。
第1は鹿児島・川内原発の再稼働。そして第2は東電元幹部3人に対する東京第5検察審査会による強制起訴議決である。

【国と原発ムラによる演出】

「8月11日は、あれだけの犠牲を出した大事故の月命日ではありませんか」
この日に川内原発を再稼働するのが決まったとの報せを受け、怒りに唇をふるわせて抗議したのは福島・浪江町の馬場有町長だった。国内すべての原発が停止してほぼ2年。全国民が注目する川内再稼働を、よりによって因縁のこの日に実行するのは一体どういう了見なのか、と馬場町長は言いたかったのだろう。

浪江町は今も全町民が町外避難を強いられ、9月11日で事故後4年半になるというのに、流浪生活に終止符を打つめどすらついていない。
浪江町に限らない。馬場町長の言葉は、福島県民大多数の本音を代弁している。
「福島の事故の原因が究明されないうちに再稼働を行うことは、科学的にも倫理的にも許されない」

「現に国内の電力供給は原発なしでまかなわれている。国民と企業の節電努力や代替エネルギー技術開発によってそれが実現している現実をどう評価するのか」
「全原発が停止している現在こそ、国の将来を原発に頼るべきか否かを考える貴重な機会ではないか」

全国54基すべての原発が停止した状態の下で、様々な意見が出された。

しかし、これらの議論が当事者の間で真剣に闘わされたとは言いがたい。国と電力会社は、国民を巻き込んだエネルギー論議にまともに応じることはなく、ひたすら「再稼働ありき」のかたくなな態度に終始してきたからである。再稼働は国の既定の方針とされ、問題はそれがどの原発か、いつになるのかだけが焦点になっていった。
そしてこの因縁の日。川内再稼働は国と原発ムラによって演出された原発推進のためのイベントとなった。

「『8.11再稼働』は反発する県民・被災者の感情を逆撫でし、あざ笑った。これ以上反対できるものならやってみろと言わんばかりの挑戦的な選択だ」。双葉町からいわき市に避難し、東電への賠償訴訟を続ける主婦グループは泣きださんばかりの表情でつぶやいた。

実際、再稼働をするだけならわざわざこんな反発を呼ぶ日を選ぶことはない。この演出は、これからは原発問題すべてに強気で臨むという安倍晋三政権の国民へのメッセージであり、被災者には賠償や復興政策にここではっきり「区切り」をつける、つまりこれ以上、限度なく財政資金を被災地に投入しないという福島県民への冷酷な通告だったのだろう。



【政府の意図】

今年に入ってから政府は、その見方を裏付けるように、苛烈な政策を次々と打ち出した。

被災者への支援の目安となってきた避難指示区域を解除し、それに伴って東電による住民への慰謝料支払いを終える。区域外から県内や他県に逃げ出した「自主避難者」には2017年4月以降、これまで行ってきた「みなし仮設住宅」の提供をやめる。商工業者に対する営業損害賠償も来年3月で打ち切る。

貴重な生活費になってきた慰謝料がなくなり、住む家もなくなる。いったいどうすればいいのだ――被災者の声は悲痛だが、国の方針はもはや決して揺るがない。「元の地域が既に住める状態になっているのだから、そこに帰ればいいのだ。それなのに、いつまでも支援金を払っていると故郷に帰ろうとしなくなる。帰還がいやならその選択は自己責任なのだから国は関与しない」。

これは恐ろしい態度である。こうやって被災者の権利を奪われ切り捨てられた人々、たとえば県外に自主避難したままで、なかなか帰ろうとしない県民は、これから後は実質的に県民としてさえ認められなくなるのかもしれない。次回でも触れるが、その背後に見えるのは、あの大事故は今はもう終わったこと、さらに言えば、なかったことにしたいという政府の意図である。


【被災者はだませない】

今も10万人を超える人が家を失ってさまよい苦しむ現実をよそに、こんなばかげた話を創りあげて政策として強引に実行するのはなぜなのか。

 ▽世界中から要人や観光客が来る5年後の東京オリンピックまでに、「ぼろ」を隠してしまいたい(被災者や汚染された土地は国家の栄光を汚す「ぼろ」にすぎない)。

 ▽国の財政危機の進行を少しでも食い止めたい(「ぼろ」の始末に使う金の余裕はもうない)。

 ▽オリンピック誘致の際に「汚染はコントロールされている」と大見得を切ったのは首相自身だ(国立競技場問題などとはわけが違い、首相のメンツがかかっている)。

しかし、地元では誰もが知っている。国や自治体が進めてきた除染の結果、「住める状態」になったのは町や村の一部だけ。裏山からは雨のたびに今も放射性物質に汚染された新たな雨水が流れ出す。かつて子どもたちが転げ回って遊んだ森や野原のそこここに「危険なホットスポット」があること、みだりにキノコを採って食べたりしてはいけないことなどを彼らに教えなければならない。

もはや被災地では、うわべはともかく心の底から政権を信用する者は誰もいないと言ってもいい。世界の要人はだませても、被災者はだませない。








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